「憧れ」を考える

こんにちは、ゆきの(@2001senpea)です。

 

あなたは、憧れの人っていますか?

 

わたしは具体的な人物への憧れはないのですが「必死に取り組む姿」に憧れます。

 

今回はそんなわたしの「憧れ」について、考えてみました。

 

 

 

必死さに憧れる

 

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ひたむき


必死


がむしゃら


無我夢中


一心不乱

 

そんな言葉に憧れがあります。

 

 

今まで、なにか一つのことに必死に取り組んだことがないのです。

 

 

わき目もふらず……

 

寝る時間も惜しんで……

 

周りの目なんて気にせず……

 

時間が過ぎるのも忘れて……

 

そうやって、必死に取り組む人に憧れます。

 


「イイナー」「すごいなー」「ステキだなー」って思うのです。

 

 

わたしは、身近な人であれ、有名な人であれ、具体的な誰かにあまり憧れた記憶がありません。

 

 

でも「必死になにかに取り組む人」には憧れを抱くのです。

 

 

あのとき、もっと必死にがんばれば、もっと良い結果が得られたんじゃないか……


ふとそんなことを考えることがあります。

 

 

最大限の、精一杯の、これ以上できないほどの力で取り組んだときの達成感を味わったことないなー、と思って、自分に対して少し物足りない気がするのです。

 

必死に何かに取り組み、達成感を味わっている人を見聞きすると「イイナー」「わたし、そういう達成感味わってないなー」と。

 

 

 

もし必死にならないとどう?


なんで必死にならないの?なれないの?


そう自分に聞いてみたとき


必死にがんばって、疲れ果ててしまうのが怖い


という答えが出てきました。

 

 

必死に取り組んだ結果、自分の思うような結果が得られなかったり、失敗するのが怖いのかな、とも思ったのですが、どうも違うようです。

 

寝る間も惜しんで取り組むことで、疲れきっちゃうのが怖い。


時間も忘れて取り組むことで、その反動で燃え尽きたようにやる気がなくなっちゃうのが怖い。

 

疲れきったり、燃え尽きたりして、見える景色があるのかもしれません。

 


でもわたしにとって


心身ともに余裕がなくなる


というのは、想像するだけで、かなりつらい状態です。

 

 

余裕が最優先


最初に書いた


ひたむき


必死


がむしゃら


無我夢中


一心不乱


今でもまだ憧れがあります。

 

 

でもわたしには


なにごとにも余裕がある


という状態が心地よく大切です。

 

 

この心地よさを捨ててまで、なにかに激しく打ち込む生き方を望んでいないようです。

 

 

いつかこの心地よさを捨てても必死に取り組みたいなにかが出てくるかもしれません。


それはそれで楽しそう。

 

 

この先も、そこまで必死になれることに巡りあうことなく、余裕を優先して生きていくのかもしれません。


それもまた、わたしらしい。

 

 

my info(おわりに)


「必死に取り組む姿」への憧れについて考えてみたら「わたしには余裕やゆとりが大切」ということに気がつけました。


わかってみれば、あたりまえ。


「そりゃそうだ、わたしってそうだよね」という感じです。


でもこの「あたりまえ」が自分ではなかなか気がつけない。

 

 

あなたも「いいなー」って憧れることがあったら、なぜ憧れるのか考えてみませんか?

 

 

◆「幸せ結婚生活のコツ」についてのブログも書いています。

my letter~妹たちへ~